使徒パウロ
ローマ人への手紙一章一節
パウロの誇り
民族的な誇り
ユダヤ人として
私たちは今日からローマ人への手紙を学んでいこうとしていますが、このローマ人への手紙の著者がパウロという人であり、この手紙を理解するためにも、パウロという人について幾分の理解をしようと言うのが今回の学びの趣旨であります。彼は何よりも自分がユダヤ人であることを誇りとしていました。彼は「私は八日目の割礼を受け、イスラエル民族に属し、ベニヤミンの分かれの者です。きっすいのヘブル人で、律法についてはパリサイ人」(ピリピ人への手紙三章五節)と語っていますが、割礼を受けたユダヤ人であることを誇りにしていることが分ります。
ベニヤミン族
彼は今引用したところで「ベニヤミン族」であることも誇っています。それはイスラエル民族十二部族のうちユダ族、ベニヤミン族を除く他の部族は北王国に属して、ダビデの子孫の国に敵対する者となり、その後アッシリア帝國の混合政策により民族としての純血性を失い、サマリヤ人と呼ばれるようになっていきましたが、ベニヤミン族とユダ族は民族的な純粋性を守れたのです。
知的な誇り
彼の生まれた地
また彼はその生まれた地から多くの影響を受けたのです。彼の生まれた町はタルソでした。そこはトルコ半島の地中海に突き出した先端、その南にある町で、学究都市として知られた町でした。当時の最高学府があり、ギリシャ文化が花開いていました。そこで彼は早くからギリシャの思想に通じ、そのメッセージや手紙の中でも、その哲学者の文章を引用したりしています。
ギリシャ文化に通じて
その中でも有名なのはアテネのアレオバゴスでの説教の中で彼がギリシャの詩人の言葉を引用している箇所でありましょう。ある聖書注解書は「彼は、国際都市タルソ生れのローマ市民として、ヘレニズム世界をよく理解していた。ギリシャの詩を引用し、ギリシャの競技の比喩を用い、人々の心をとらえていた密儀宗教やストア哲学の用語で語ることができたからこそ、ギリシャ人やローマ人に有効な伝道ができたのである」と語っています。
信仰的な誇り
ガマリエルの弟子として
そればかりではなく、彼は律法学者としても優れた才能を発揮していたと言うことができるでしょう。「私はキリキヤのタルソで生まれたユダヤ人ですが、この町で育てられ、ガマリエルのもとで私たちの先祖の律法について厳格な教育を受け、今日の皆さんと同じように、神に対して熱心な者でした。」(使徒の働き二二章三節)と語っています。彼は律法学者として将来を嘱望されていたのです。
パリサイ派の弟子
彼はパリサイ派の弟子でした。先に引用したピリピ人への手紙の箇所でも、自分をパリサイ人として紹介していることからも分ります。それは彼が律法を誰よりも厳格に守っていることをあかししていると言うことを意味しているのです。ですから彼は「律法による義についてならば非難されるところのない者です。」(ピリピ人への手紙三章六節)と語るのです。彼はユダヤ人としては誰もがうらやむほどの人物であったと言うことができるでしょう。
サウロとパウロ
サウロと言う名
さて私たちが一般にパウロと呼んでいる人物は、キリキヤのタルソで生まれたサウロという人物です。サウロという名前は、旧約聖書ではサウルと呼ばれます。サウルというのは、ベニヤミン族出身のイスラエルの初代の王で、ベニヤミン族からすれば誇り高い名前であったと言うことができるでしょう。ですからパウロの両親も彼の名前を民族の誇りとしてのサウルという名前を付けたのだと推測することができます。
パウロと言う名
このサウロがキリスト者となってしばらくしてからパウロという名前で呼ばれるようになり、自分もその様に名乗っています。アウグスチヌスによれば、このパウロという名前のラテン語読みはパウルウスで、その意味は「小さい」という意味であり、キリストの御前で小さい者であることを示すものとして解説しています。この解説が正しいものであるかどうかは良く分りませんが、サウルとパウロと言うことからすると鋭い対比と言うことが言えるでしょう。
ローマ市民とユダヤ人
ローマ市民権を持つ
彼はユダヤ人でありましたが、ローマの市民権を持っている人物でありました。「私は生まれながらの市民です。」(使徒の働き二二章二八節)と語っています。彼の父、あるいは祖父がローマの市民権を買い取った者であろうと推測することができます。ローマの市民権を持っていると言うことは、様々な特権を持っていると言うことを意味しています。彼自身もそのローマの市民権を裁判と言うときに十二分に用いました。
ユダヤ人としての誇り
彼はユダヤ人としての誇りを持っていました。「私は八日目の割礼を受け、イスラエル民族に属し、ベニヤミンの分かれの者です。生粋のヘブル人で、律法についてはパリサイ人」と語ります。これは彼のユダヤ人としての誇りなのです。割礼を受けた者がユダヤ人として受け入れられるからです。パリサイ派であると言うことは、彼がしっかりとした信仰をもっているという証しです。
パウロの回心
キリスト者を迫害するため
そして彼の熱心はキリストの教会を迫害するまでになりました。彼は「その熱心は教会を迫害したほどで」(ピリピ人への手紙三章六節)と語ります。この事については使徒の働き九章に「大祭司のところに行き、ダマスコの諸会堂あての手紙を書いてくれるよう頼んだ。それは、この道の者であれば男でも女でも、見つけ次第縛り上げてエルサレムに引いて来るためであった。」(九章一~二節)と語られています。彼は兵士を引き連れてダマスコにまで出かけていったのです。それまでにも彼によって多くの人々がつながれて苦しみを受けていたのです。
キリストとの出会い
ところが彼はダマスコに入る少し前で、よみがえりの主との出会いを経験するのです。その事は使徒の働き九章一~二二節に記されています。彼はそこに記されているようにキリストとの出会いを経験するのですが、そこで彼は主から次のような言葉を語られました。「行きなさい。あの人はわたしの名を、異邦人、王たち、イスラエルの子孫の前に運ぶ、わたしの選びの器です。彼がわたしの名のために、どんなに苦しまなければならないかを、わたしは彼に示すつもりです。」(一五、一六節)と言う言葉です。これはアナニヤを通して主が語られた言葉です。
イエス・キリストのしもべ
弱さの経験
目が見えなくなって
彼はこの時目が見えなくなったのです。目が見えなくなると言うことは、突然であったために対応することができず、打ちひしがれた思いで、引き連れていった兵士たちに、彼が本来捕まえようとしていたアナニヤの家に導かれるのです。これは彼が弱さを経験することによってその様な人々に対する思いやりをもつことができる、また自分の罪の深さを深く経験する、様々な意味での弱さの経験であったのではないでしょうか。私たちが弱さを経験すると言うことが、いかに必要な経験かと言うことを私たちに示すものでしょう。それは私たちがいかに弱く罪深い者であるかをこの様にして経験することによって主の救いのすばらしさを知っていくのです。
赦しの経験を通して
彼はアナニヤによって罪の赦しの経験をするのです。「兄弟サウロ。あなたが来る途中でお現われになった主イエスが、私を遣わされました。あなたが再び見えるようになり、聖霊に満たされるためです。」(九章一七節)と語られます。それはただ罪が赦されましたという宣告を越えて、彼に対する具体的な召しであったのです。彼は聖霊に満たされる、これは彼が「行きなさい。あの人はわたしの名を、異邦人、王たち、イスラエルの子孫の前に運ぶ、わたしの選びの器です。」(九章一五節)という使命を果たすためなのです。
しもべとして
市民権を持つこと
彼はローマの市民権を持っていると言うことはすでにふれたことでありますが、その権利は実に大きなものでありました。ローマ市民はもし死罪にあたるような罪を犯したとしても、ローマ皇帝によらなければ、死刑に処せられることはありません。その他にも多くの権利を有していたのです。そして彼はその権利を十分に利用しています。しかし彼にとってその権利は決して大きな意味を持っているものではなかったようです。
天の御国のしもべ
彼はここで「キリストのしもべ」と自分のことを呼んでいたのです。彼は前述のごとく主からの使命を与えられたときに、明確に自分が主のしもべとしての自覚を得ました。彼はこの世的に考えれば生まれつきの自由民であり、ローマの市民権を持つ者であり、その事のすばらしさを経験していました。その事は逆にしもべとしての道がどのようなものかを知っていたのではないでしょうか。そしてその彼があえて自分をキリストのしもべと呼ぶのです。このしもべという言葉はドゥーロスという言葉です。この言葉は隷属を表す言葉で、生まれつきの奴隷を表す言葉です。ここでは、自由人と奴隷という対称の中で今自分をあえて奴隷として位置づけているのです。
キリストに従うもの
キリストに従うものとして
それは彼がすべてキリストに従うものであると言うことの意志を示していると言うことです。彼は、かつては誰よりも熱心に学び、彼の考え方の中で聖書の教えを「聖書はこのように求めている」と言えばそれが権威ある言葉として受け止められるであろう立場にいたのです。しかし彼はそのような生き方をよしとしないで、自ら主のしもべ、奴隷として従うものの道を歩んだのです。実はその道はキリスト様に習う者であったと言うことでしょう。「キリストは人としての性質をもって現われ、自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われたのです。」(ピリピ人への手紙二章八節)という姿にだぶって映ります。
私たちの課題
私たちは、ここに示されているパウロの姿から、私たちもまた神の僕としてのあり方を求められていると言うことではないでしょうか。私たちがこの課題をいつも意識しながら、しもべの姿を追い求めていく者でありたいのです。このことが私たちのなかで実を結んでいくと言うことを願い求めていきましょう。
|